最近、知的な会話をしていないな、と不意に思った。
話題がどうこう、という意味ではなく、緊張感のある会話、とでも言おうか。
曖昧な事実に基づいた推測や、前提条件の多すぎる、あるいは前提条件の曖昧な論理展開などをしようものなら、即座にそこを指摘され訂正を強要されるようなプライドを賭けた会話。
相手が息を継ぐまさにその瞬間を狙って、そこは意図的にこのような議論をしたのだ、なぜなら‥‥などと上手に割り込み、相手の指摘を回避しないと、問答無用で蜂の巣にされてしまうような、丁々発止の言葉の応酬。
だからと言って、当たり障りのない、誰もが当然と考えるようなコメントしかできなければ、こいつは馬鹿だと見なされるから、ある程度は大胆で、冒険的な結論を主張する必要がある。
しかしまた、論理の飛躍が大きすぎれば容易に撃墜されてしまい、やっぱりこいつは馬鹿だと思われるような、緊張感のみなぎる会話フィールドというか。
その一方で、好感度の高い笑みは決して絶やさず、かつその裏で、相手の不用意なコメントは決して聞き逃すまい、隙あらば相手を蜂の巣にしてやろうと、相手の一言一句を即座に吟味し検証していく高揚感。
なんとかして相手の議論の事実誤認・矛盾・ありえない前提を探り出し、あるいは彼の視点からは欠落している問題点、あるいは意図的に隠された前提条件をあぶり出し、それを優雅で洗練された、しかし端的に相手が自身の議論の弱点を看破されたと認識しうるような致命的な言い回しで、やんわりと相手に再検討を促すような討論。
そんな緊張感あふるる会話とは、はるか遠い位置にいるなあと再認識。
勿論、社会に出て仕事とかしてると、日常会話だけではなく、例えば今後の方針の検討だとか、書類の処理方針の検討だとか、それなりに創造的と言えそうな会話の場はあるんだけど、なんとなく予定調和的に物事が進むというか、誰かが馬鹿な事を言っても何となくスルーして何となく結論には盛り込まないようにするとか、そんな対応で議論が進んでしまう。
誰もが嫌な思いをしないままに落とし所を醸成し、全員がそこそこ納得のできる結論を導き出せる、という意味では、日本の「調和」を尊ぶ思想の素晴らしい実践、ということなんだろうけど。あと1円でも多く売り上げを伸ばそうというようなガッついた営業会議とかじゃない、という組織上の性質も影響しているんだろうな。
でもなんか気持ち悪い。
あとやっぱり適度に緊張感ある会話をしないと、脳が馬鹿になってしまう。
またもや字ばっかりなのに、最後までご覧いただきありがとうございました。

(馬鹿まるだしのアニメーションけど‥‥)