2009年の言いたい放題

京都在住のrazzorrat2009が政治・経済から日常生活、趣味に思うことを無責任に言い放ちます。

自己肯定感というかむしろ選民思想とまで言えるかも 

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今日はランナーズハイの後に勢いで書いた文章だから、どうにも支離滅裂な感じだけどご容赦あれ。

▼▼要約▼▼
ジムのスタジオプログラムで大声を出したら気分爽快だった。

▼▼詳細▼▼
最近は割と定期的にジムに通っていて、スタジオプログラムに出たりするんだけど、今日は特に個人的大盛り上がりだった。何かもう馬鹿みたいにノリノリ、というくらい。

細かい計算式ばかり入力する仕事が続いてストレスが溜まっていたとか、お昼休みの卓球が最近できていないとか、今日は特にお気に入りの曲ばかりかかったとか、スタジオ参加者が多くて皆ノリが良かったとか、まあ理由は色々ある。そんなわけで、今日はよく体も動いたし、やたらと声出しをしたわけさ。普段の我輩よりもずっと大きな声で、ずっと頻繁に。

そしたら何か、自分の声がスタジオ全体をリードしているように感じられてきた。まあランナーズハイと自意識過剰による錯覚で、肥大した感覚ではあろうけど、ある程度はリードしていたのは事実だし、全くの事実無根ではないさ。で、そのままリード感覚を楽しんでると次第に、自分がスタジオの動きを引っ張っているような感覚だけでなく、自分に対する特別感というか唯一感というか、そんな感覚が体中に横溢し漲ってきた。自分の存在が他の誰とも違っていて、単に違っているというだけではなく、その違いが承認、否むしろ称賛、称揚されている、というような感覚。強烈なまでの自己肯定感。俺は特別だ、と迷いなく断言しちゃうほどの肯定感。

そういえば昔にもこんなことあったな、と不意に思い出した。数年前、青森のねぶた祭りに参加した時だ。初参加にも関わらず軽い躁状態となった我輩は、この時もやたら声を出してた。そしたらいつの間にか、我輩の掛け声に合わせて、連(というのかどうか知らないけど)のみんなが後から声を出す、みたいになった事があった。

やたら踊りの上手なお兄さんが、超爽やかな笑顔で横に寄ってきて、初参加の我輩とコラボで踊ったりしてくれて、この時も何というか、特別感というか、唯一感というか、「違っていることが称賛されている」という感覚が強くあった。ていうか俺は特別だ、というほどまでの選民感覚。

こんな感覚は日本に帰ってきて以来しばらくなかったな。合州国にいる間は、この感覚をもっと頻繁に、ていうか日常で恒常的に感じていた。その理由としては、自分が数多のライバルとの競争に打ち勝って潜伏任務を任命されたのだという誇らしさ、優越感も確かに作用したのかも知れない。だがそれだけではなく、かの国には「自分が他人と違っていて、その違いを誇らしく思っている」人が多く、また社会全体として「自分と他人との違いを肯定的に捉え、そのいずれをも称揚し称賛する」という姿勢であることが強かったように思う。

まあ、我輩が単に幸運にも良いコミュニティ、隣人、知り合いに恵まれた、というだけの事かもしれないけど、日本との比較で言えば、そのような「違いを称賛する」姿勢のできた人は多い、というのは事実であろう。

我々は「他人と違っていること」に後ろめたさを感じさせるような、あるいは「違っていること」について承認を求めなければいけないような、「違っていること」がかろうじて許容されるような、そんな社会に生きている。そして「許容、承認」と「称賛、称揚」は、車のエンジンとブレーキほども異なるものである。

この国には、空気を読むことを強要されるような、他人と同調することを強要されるような社会的な圧が如何ともし難く働いている。これは我輩の錯覚ではない、と思う。


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[ 2008/10/22 ] 趣味 | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

razzorrat2009
30台男性、既婚、団体職員。
修士号(人類学)取得後、卓球に打ち込んでみたり、京都に引っ越したり、結婚してみたりしつつ、渡米。英語がペラペラになりそうなタイミングで帰国し、象牙の塔に宮仕えしたりしながら糊口をしのいでます。

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